2008年1月28日月曜日

1月の科目試験

1/26~27と、科目試験を受けてきました。
教科としては申し込みは6教科していたのですが・・・実際に受けたのは3教科でした。

1日目
社会心理学
教科書持込なので何とかなっているんじゃないか?まぁ、同調実験の辺りでした。
ちょっと、人名まで忘れてしまいましたが・・・教科書の内容としてはp126辺りをまとめて書いた感じです。評価はともかくとして受かって欲しいです。

英語Ⅶ
これは、嬉しかったです。
予測的にp39!と、思い集中して勉強をしていました。他のページは考えられなかったので!
試験を受けた方なら分かると思いますが、ドンピシャ!で、p39が出たわけです(^^)v
前日にoffspringをchildrenと書かせる問題が出る!とか、not only~butかwhether or notのどちらかの訳をかかされるのではないか?と、予測をしていたのでまさに!って感じでした☆

まぁ、次回の試験の(英語Ⅶに限りますが)私の個人的予測としてはp16L7~L25辺りだと思います。
責任は持てませんが(^^;きっと狙い目だと思います。
試験問題をみて、いざ違う!と、思っても責めは負いませんが(汗。

2日目の移って考古学:
文献史学と考古学の関係と、発展と言った内容だった回答を求められました(^^)
持込なので回答としては教科書のp2~3にかけてを要約する形になりました。

こんな感じで私の1月の試験は終わりました。
3教科ともに、何とか単位は取れているのではないか?と、安易に予測はしていますが・・・
結果が返却されるまではなんとも居えないのですよねぇ・・・。
何せ、採点基準が今一よく分からないですから(涙。自分が完璧!と、思っても落ちることもあるし、
絶対に無理だったと思っていても受かることもある!不思議な話です。

これは2月に結果が返却されるのを待つしかない!

2008年1月24日木曜日

英語Ⅶ試験対策

1月試験も今週末に近づきましてさすがに焦っているわけです。

出来たら、今回の試験で英語とはおさらばしたい!と言うことで・・・真面目に少し勉強しなくてはならないのですが、、、現実は難しい(><)

一応軽くまとめて見ました!
こんな感じで(^^)

Deciding against a bilingual upbringing
バイリンガルに育てないことを決めるということ

When I phoned pleple and asked if I could interview them about their experience of bringing up their children in a bilingual home environment, the answerwould sometimes be: ‘Yes, but my children are not bilingual.’
私がバイリンガル育児と家庭環境に関する電話インタビューを依頼すると、「いいけど、私の子どもたちはバイリンガルではないですよ」という答えがしばしばあった。
experience of bringing up ⇒子育ての経験
a bilingual home environment ⇒バイリンガル家庭環境

I would then explain that I was not only intersted in the ‘success stories,’ but in all the experiences of the parents concerned, whether or not they had brought up their children with two languages.
私は、「成功話」だけに興味があるのではなくて、バイリンガルに育児をしたかどうかにかかわらず、親のすべての体験に興味があることを説明した。
Explain⇒ 説明する  concerned(V)⇒関係のある・関心がある

It subsequently apperared that people were very willing to talk about their reasons for not going through with a bilingual upbringing for the offspring.
すると、何人かの人たちはバイリンガルに育てないことの理由を快く説明してくれることが分かった。
Subsequently⇒ 次に offspring(C)⇒子孫・子

So before we discuss how children can become bilingual, let us first have a look at how and why some parents have decided against a upbilinging.
だから、バイリンガルに子どもを育てることについて語る前に、バイリンガルに育てないことを決めた家庭についてもおさえておこう。
So before⇒ それ以前に

How do parents choose what is important when bringing up children?
育児にとって何が重要であるかを、親はどのように決めているのであろうか。
Choose(V)⇒ 選択する・選ぶ



Well, they all have different childhood memories, they all reach parenthood via many different routes and for many different reasons,and they all expect different things form life.
親はみんな違う子どもの頃の思い出をもち、様々な過程を経て親になるのであり、色々な理由によって、人生に求めるものはおのずと違ってくる。
Reach⇒範囲  routes⇒過程・ルート expect⇒予測する・期待する


All these things influence the way parents raise their children,and the bilimgual upbringing is only one of the many aspects about which parents have to make up their mainds.
これら全てのことが育児に反映されるのであり、バイリンガル育児をするかどうかは、親が子育てにおいて決めなくてはならないことのほんの一部である。
Influence⇒影響する・反映する
Aspects⇒局面  only one of the many aspects⇒多くの局面の中の1つ

By looking at some of the decisions against a bilimgual upbringing and trying to find out more about the reasons behind those decisions, I feel new parents will then be able to make an informed and responsible choice.
バイリンガル育児を選ばなかった親とその決定の背後にあるものをみていくことによって、新しい親たちは、説明を受けた上で、より責任ある選択をできるようになる、と私は思う。
behind those decisions⇒それらの決断の背後に
will ~ be able to make

役に立ては良いんだけど・・・今回の試験で・・・。

2008年1月21日月曜日

1月の科目試験

今週末に1月の科目試験が迫ってきた!
慶應の通信では科目試験は年に4回。もっと有ったら良いのに・・・思うが・・・
今回は枠一杯の6教科を申し込んだが、仕事の資格試験の関係で受験は3教科にする予定(^^)

しかも、今試験を目の前にして全く勉強していないこの現実が痛いです(^^;
全滅!とかは、、、さすがに避けてたいので、何とか受かれる教科があればなァ?と、楽観的。。。
軽視しすぎか?

頑張る気持ちはあるのですが、行動を起こすのは大変です。

勉強してる時間が取れない。いや、今回の試験の後はきっと楽になるはず!
資格試験と重なることがなくなるから、今後はもっと時間を上手に使うことがポイントと、なるかなぁ?

2008年1月17日木曜日

近代ドイツ演劇

昨年末に提出したレポートが返却されてきました(^^)
またもや、レポの評価がAで嬉しいです♪この調子で今月末の試験も乗り切りたいです!
でも、勉強していないけど(^^;

ちょっと、私生活がバタバタしてしまい、今は勉強に身が入らない状態と言ったら良いでしょうか?

仕事関係の資格試験も控え、忙しい日々を過ごしていました(^^)/

ちなみに、近代ドイツ演劇のレポートはこんな感じで書きました☆

06 近代ドイツ演劇
課題:「18,19,20世紀のドイツ演劇の研究」
◆ 序論
 今回近代ドイツ演劇のレポートでは18、19、20世紀の演劇を研究すると言うことで、各世紀ごとに特徴や代表的劇作家、演劇を例に挙げて各々の世紀ごとに、考察を以下に述べていく。

◆18世紀頃のドイツ演劇
 18世紀のドイツ演劇の述べるのに、発端として挙げるべき人物として、レッシング(Gottohold Ephraim Lessing1729~1781)の登場を外すことは出来ないであろう。レッシングはドイツにおいて劇作家を専門職とした始めての人物である。
 若くして彼が父に対して送った「自分はドイツのモーリエールになりたい」と言う手紙の話は有名であるが、彼が文学を傾倒していた象徴的な話でもある。この頃よりレッシングはゴットシェートのライプチヒで演劇活動を開始しいている。
 レッシングの初期作品としては、主にプラトゥスやテレンチウスなど、イタリアの喜劇作家の作品をモデルにしていた他、フランスのモーリエールを手本としていたことがうかがえる。
 しかしながら、レッシングは次第にイギリス演劇に手本を見出すようになり、シェイクスピアの研究もより深く行なっていた。そこで、1755年に発表されたのが、イギリスの市民演劇で『ロンドンの商人』(リロー)を下地としてドイツ初の市民悲劇『ミス・サラ・サンプソン』を創作した。この作品は事実上のゴットシェート理論からの脱却を目指した作品であるといわれている。社会の道徳を意識しながらも、自分自身の気持ちを優先し、それに従う女性像は、18世紀当時のドイツ演劇の舞台においては大変新鮮なものとして市民に受け入れられた。この他にも今日でも上演されているドイツ初の国民的な喜劇『ミンナ・フォン・バルンヘルム』(1767年)や、暴君に対して、自らの命をかけて戦う父と娘の姿を描いた、封建社会への批判を含んだ作品『エミーリア・ガロッティ-』(1772年)を発表している。レッシング自身はキリスト教徒であったが他の宗教を否定すようなこと無かった。しかしながら、ドイツ文学史上屈指の激しい宗教論争を巻き起こした作品『賢者ナータン』レッシングを象徴する代表作品である。
 作品を世に送り出す傍らで、演劇を理論面からも考察。フランスの古典演劇を非難してシェクスピアこそがギリシャ悲劇の後者であり、国民的市民悲劇こそがシェイクスピアの後者である主張した点は注目すべきであると言える。
 18世紀全体のドイツ演劇の考察としては、レッシングこそが近代劇の親であるといえる。また、批判的理性や予定調和、寛容の精神の象徴される、啓蒙主義的文学が演劇の世界にも広く浸透した時代であるとも言える。

◆19世紀のドイツ演劇
19世紀、それはロマン派が台頭する時代である。主なロマン主義者としてはゲーテ(Joann Wolfgang von Goethe1749~1832)とシラー(Friedrich von Schiller1759~1805)を外すことは出来ない。初期のゲーテは実在の騎士ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンを主人公とする『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』と言う戯曲を書いた。戯曲の中で主人公は宮廷時代の中世騎士精神を貫き、自由を唱えながら死んでいくと言うストーリで、若い世代、後には国民的自由欲求の心に共鳴し成功を収めた。しかしながら、本来の戯曲の形式を無視したことで、古典劇でなければ戯曲ではないと言う考えの人々からは非難を受ける結果となったが、中身の無い形式模倣作品でなく、充実した内容が伴って居た事により、多くの民衆に受け入れられたと言える。また、ゲーテもレッシング同様にこの作品からもシェイクスピアから学び影響を受けていたことが分かる。ゲーテこの後多くの作品を書くが、三統一の法則による悲劇『ファウスト』を書く、これによりドイツ演劇における、ロマン派を築いたと言えよう。
 また、ゲーテ同様に19世紀ドイツ演劇から欠かすことの出来ない人物として、シラーを挙げる。ドイツ古典主義者の代表と言うべき人物であるが、ゲートと同じく形式にとらわれない自由な構成を用いたのである。その代表作ともいえるのが『群盗』である。
 欧州全土から見れば、レッシングより引き継いだ演劇理論は19世紀に入りさらに発展と遂げ、欧州全体へと広がり影響を与えたといえる。この時代のドイツ演劇が隣国フランスにも影響を与えたことは言うまでも無く、その象徴がスタール夫人が書いた『ドイツ論』(1813)である。また、スタール夫人以外にもビクトル・ユゴーの『クロムウェルの序文』からエルナニの戦いを起こさせ、海峡を超えてイギリスにおけるヴァレンシュタインの英訳を導き、この時代の欧州の文学をロマン主義文学の幕開けであったと言っても言い過ぎではないと思われる。
 19世紀の中ごろの欧州は演劇より小説が盛んな時代へと移る。そんな中ドイツではロマン主義の色彩がより強いものとなる。しかしながら、オーストリアにおいてはグリルパルツァーがドイツ古典主義を淘汰し、格調の高い構成劇を演出した点は大変興味深い。この他にも写実主義に分類されるライムネントやネストロイがオーストリアで活躍し、ヴィーンの全盛期とも言える時代を迎える。
 この後に登場するのが、ヘッベルである。彼の死後25年ドイツ演劇の空白の時代とも言われている一大劇作家であるが、ヘッベルは詩人であり、作風は悲劇が中心で、哲学的であった、その為か格調は高いが芸術性にかける部分が指摘されたのも事実である。代表作は『ユーディット』や『ニーベルゲン』である。
 以上の事より、19世紀のドイツ演劇を考察すると、多くのロマン派が登場し、攻勢に向けて新しいスタイルを生み出し、多様性を生まれた、しかしながらやがて停滞して沈黙時代へと向かった。18世紀のレッシングが一時代を築いたドイツ演劇と比べると、多くの人の手により試行錯誤された時代であることがうかがえる。

◆20世紀のドイツ演劇
20世紀、言わずと知れた第二次世界大戦のあった時代である。言うまでも無くドイツの演劇も戦前戦後で大きく大別することが可能である。
第二次世界大戦前、それは自然主義の時代である。ハウプトマン(Gerhart hauptmann1862~1946)の『日の出前』は炭鉱の発見により一躍富を築いた農夫が,富のために身を滅ぼす、これはドイツの自然主義の出発点といえる。しかし、自然主義はレアリズムがゆえに、精神的、心理的な部分が演劇において損なわれてしまい、評価は今一であった。その為に演劇自体が自然主義とは距離をおく形となった。実際に見ても、1910年以降はハウプトマンは演劇ではなく小説の執筆に力を注いでいる。自然主義の流れとしてはその後ヴィーンで戯曲に取り入れられたが、やがては衰退の道を辿った。やがて反自然主義が登場。人間は過去から逃れることが出来ず、過去は永遠の一部である、と言うことを生涯のテーマとしたホーフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal1874~1929)。デカダン派の流れを汲んだシュニッツラー(Authur Schnitzler1862~1931)ソフトで音楽的な作品を描いている。また、この頃より社会風刺的な作品も多く書き、その社会風刺の流れがドイツの戦前、戦争へと向かう雰囲気の象徴とも考えられる。
ドイツの戦後は、それは第二次世界大戦の敗北による清算、そして責任と追及に世論の焦点が集中しだ時代である。この世論の動きにより西ドイツにおいて記録演劇が出現した。その象徴も言える作品が『追求』(1865)であろう。この作品は実在するアウシュビッツ強制収容所を舞台とした作品である。この他に、『神の代理人』(1963)も挙げられるであろう。ナチスのユダヤ人虐殺に対するローマ法王の責任の追及、日本の問題とも言える原爆に関することも描かれている。この責任と追求に関する動き、第二次世界大戦だけに目を向けたものだけでなく、ベトナム戦争を中心に書かれた『ベトナム討論』(1976)と言ったものにも受け継がれている。
この記録演劇こそが第二次世界大戦後のドイツ演劇の大きな特徴である。


◆結語
 今回のレポートでは、ドイツ演劇を各年代ごとに考察してきた。18世紀を迎えドイツの演劇は大きく変化し、それを体系付けたのがレッシングの登場であったと言えよう。また、19世紀にはロマン主義が賑わい、戦前には自然主義が主流となった。戦後には戦争の記録を残すような記録演劇が盛んとなった。以上の事より、ドイツにおける演劇の流れは社会に情勢の変化を色濃く映し出していたことが分かる。

◆参考文献
・ 『ドイツ近代演劇』宮下啓三 慶應義塾大学教材
・ 『ドイツ文学案内』岡田朝雄 朝日出版
・ 『近代ドイツ小説』宮下啓三 慶應義塾大学教材
・ 『19世紀のフランス文学Ⅰ』小潟昭夫 慶應義塾大学教材
・ 『シェイクスピア研究』池上忠弘 慶應義塾大学教材

20世紀の部分が、ちょっと薄い感じがするというような内容のコメントと、好感がもてるレポートです。
と、書かれていたので嬉しかったです(^^)v
1回でpassしただけでも嬉しいのに、評価がAと言うおまけ付き♪新年早々最高です!

次は何のレポートに取り組もうかしら?